平泉中尊寺本堂門前   平泉中尊寺金色堂  北上展勝地桜並木

東北三大桜を見るPart1

中尊寺・北上展勝地

 JTB旅物語の「みちのく桜街道3日間」に2016年4月30日(土)〜5月2日(月)参加してきました。上の写真右が1日目に訪れた北上展勝地で唯一咲いていたしだれです。八重桜が数本咲いていましたが、後は見事な葉桜でした。さぞかし見頃の頃に来たら美しかろうし人も多かろうと思われます。今年は例年より見頃の時期が1週間早かったようです。仙台空港から1日目の宿泊地十和田湖畔までのバス旅行で私の印象に残った景色です。

(1)蔵王山が美しい!

 この旅行で山が美しいなあと思いました。京都の私は雪を頂いた山を見ることが珍しく、飛行機の中でも白山、アルプスの峰々富士山の美しさに心が動きました。東北でも奥羽山脈の山々、蔵王山(1841m)、岩手山(2038m)、八甲田山(1584m)、岩木山(1625m)などそれぞれの山容を楽しんできました。東北自動車道からすぐ近くに蔵王山が見えました。宮城県仙台空港から山形県蔵王山まですぐのようです。

(2)奥州平泉中尊寺
(岩手県平泉町衣関)

     
国宝金色堂  重文堂  旧覆堂 
 今は金色堂は鉄筋コンクリートの建造物内にありますが、昔は右の旧覆堂内にありました。金色堂、その仏像も見事ですが、内陣の螺鈿細工・蒔絵などもすごい。最近買った望遠鏡威力を発揮してくれました。須弥壇の仏像群はもちろん手すりや柱等を荘厳する螺鈿細工や鳳凰像なども間近で見ているような迫力でした。中央だけでなく左右にも同じ配置の仏像群がありましたが、あれは同時代のものなのか、後年のものなのかが気になりました。
 私はこの内陣の仏像の配置から以下のようなことを想像しました。中尊は極楽往生へ導いてくださる阿弥陀如来、脇侍に観音菩薩と勢至菩薩の阿弥陀三尊形式。そして四天王のうち持国天と増長天。広目天と多聞天二体がないのが不思議です。そして六体の同じ形態の地蔵菩薩。これは六地蔵で六道輪廻それぞれの場所で活躍される地蔵菩薩への帰依を表しているのでしょう。金色堂そのものが極楽浄土を象徴しているのでしょうが、ぜひ導いてほしいと願った清衡の切なる思いが伝わってきます。もし極楽往生できなくても、お地蔵様にすがりたいということでお地蔵様6体がおられるのかなと想像しました。清衡も間違いなく極楽へいけるという自信がなかったのでしょう。清衡・基衡のミイラや秀衡の首級が須弥壇内から見つかっています。秀衡の首級といっしょに800年前の蓮の実が見つかり今その蓮が季節になれば花を咲かせています。
 末法思想に影響を受け阿弥陀さまに頼っていた当時の貴族の真剣さが見えてきます。藤原清衡たちは奥州平定のために戦乱を生き抜いてきた貴族であり武将ですから、深刻に死後の世界を考えざるをえなかったのでしょう。
 旧覆堂の中には、ど真ん中に藤原秀衡・源義経・弁慶八百年遠忌に建てられた宝塔がありました。
 真ん中の経堂には国宝「中尊寺経」がありました。「中尊寺経」は藤原清衡発願で、紺紙に金字行・銀字行交互に書かれた「金銀字交書一切経」と「金字一切経」があります。今は、讃衡蔵という寺宝を公開している施設に保管・公開されていました。この讃衡蔵には三千を超える国宝・重文が収蔵されています。金色堂内にあった奥州藤原氏三代(清衡・基衡・秀衡)の副葬品なども展示されていました。
 金色堂と讃衡蔵を拝観しながら思ったのですが、ここは奈良法隆寺に匹敵するような存在だなと思いました。歴史が古く中尊寺より大きな寺は他にもたくさんありますが、これだけ平安時代の貴族文化の贅を今に残している場所はないのではないかと思いました。もちろん京都宇治平等院も同じような価値があると思いますが。京都市内には意外にも平安時代のものはそれほど残されていないのです。応仁の乱などの戦乱や大火事で焼失してしまっているのです。
 
中尊寺入口地蔵菩薩  本堂 弁財天と童子像 

(3)芭蕉「奥の細道」と中尊寺

     東北の旅と言えば芭蕉の「奥の細道」。芭蕉の歩いた跡を追ってみたいと思ったことがありました。
 金色堂のすぐ横に句碑がありました。それが左。残念ながら彫りが浅い上に、達筆の続き文字。
 私のようなもののために新しく右の木でできた説明句碑がありました。
 芭蕉が中尊寺で詠んだ句。
五月雨の 降り残してや 光堂
 せっかくの木の句碑ですが、意味が分かりません。それで調べてみました。
 これは「毎年五月雨が降りつづけば腐食してしまうはずなのに、光堂がこのように光り輝いているのは五月雨が光堂にはその雨を降り残したからであろう」という意味のようです。
 素朴に読めば、芭蕉の時代に今と同じぐらい光堂輝いていたように思います。しかし、江戸時代当時光堂は相当傷んでいたようで、これは芭蕉の想像力の産物であろうという見方もあるようです。芭蕉は私たちが今見ているような金ぴかの光り輝く金色堂(光堂)を見たのではなく、その光堂という言葉からこの句を詠んだのではなかろうかというのです。
 ちなみに五月雨は旧暦五月の雨で、季語としては夏。今梅雨と言っている長雨のことです。
 「この梅雨の長雨を何百年も持ちこたえて光り輝いていると言うことは、ここにだけは降らせなかったのだろうか」と芭蕉は詠っているのす。

(4)弁慶と平泉

   
 弁慶堂というお堂が中尊寺の月見坂に面してありました。時間がなくて通っただけです。そして中尊寺の外に「弁慶墓碑」がありました。八重桜が咲いていました。この墓碑の右後方に五輪塔の一部分のようなものやいくつかの加工した石がありました。

(5)岩手の偉人五人

 私はこの旅行の2日目の夜八幡平のホテルに宿泊しました。ここも岩手県で、ホテルの売店でも色々な土産物販売がありました。その中に「岩手の偉人クッキー」が売ってあるのを見つけました。岩手がうんだ5人の偉人がイラストとともにその箱に印刷されていました。岩手がうんだ偉人5人。みなさんはどの五人を思い浮かべますか。その五人とは…。
1,宮沢賢治
2,石川啄木
3,新渡戸稲造
4,金田一京助
5,源義経
 以上でした。あれ?源義経が岩手の偉人?なんかしっくり納得できない人選だと思いませんか。バスのガイドさんは、岩手の偉人として、外交官、ジャーナリストそして政治家となった原敬首相・後藤新平の名をあげておられました。台湾総督府や満州鉄道等で活躍し拓殖大学学長などをした後藤新平。原敬は、政党政治として有名な首相です。生涯爵位を固辞して平民宰相と呼ばれ、東京駅でテロに遭い刺殺されました。後藤新平に対する評価は植民地主義者という言い方もあって評価が分かれそうです。

(6)北上展勝地
(岩手県北上市)

   
 閑散とまでは言いませんが、訪れているのは県外からのバスツアーのものばかりで、遊覧船の人たちも、大道芸猿回しの方も商売にならないと言った様子でした。北上川沿い桜並木が2km続いています。サトウ八チロー記念館やSLの展示がありました。遊水池であっただろう場所を埋め立てて、屋台村、駐車場や草地を作りさくらまつりが行われています。
 『さくらまつり』のパンフを頂いたのですが、シャトルバスの運行計画は4月16日(土)から24日(土)の1週間だったようで、完全に時季外れでした。それでも『さくらまつり』そのものは4月10日〜5月5日までです。
 「北上夜曲」という歌謡曲が昔流行りました。たしかマヒナスターズが歌っていたように思います。その歌碑があるらしいのですが、もういいわという気分になりました。右の写真のようなソメイヨシノの老木が目立ちました。

(7)北上川にかかる鯉のぼり

 「さくらまつり」期間中、北上川にロープを二本渡して、300匹のこいのぼりがはためいていました。この北上展勝地はJR北上駅から近い場所で、珊瑚橋から国見橋までの間およそ2kmの桜並木がウリなのです。北上市そのものは宮沢賢治の花巻と平泉の間にある市です。
東北三大桜を見る(1)
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